ワンポイント・コラム
−井上陽水 人生が二度あれば−

井上陽水が’69年にCBSソニーから”アンドレ・カンドレ” という芸名でデビューしたことはあまりに有名な話ですが、 ”アンドレ・カンドレ”としては結局3枚のシングル盤を発表し、 そのどれもが不発に終わっています。

そして1年半後に本名”井上陽水”(但し、本名は「いのうえあきみ」と読む) でポリドールから再デビューしました。
この「人生が二度あれば」はその”井上陽水” としてのファースト・シングルであり、実質的には陽水のデビュー曲と言えます。
当初、陽水のデビューはアルバム・リリースによるデビューと決まっていたそうで、 この曲はそのアルバム「断絶」からの先行シングル・カット・リリースとなったそうです。
この曲のリリースは井上陽水の名をヒットチャートに初めて送り込んだ 「夢の中へ」リリースのおよそ一年前のことでした。

当時、所属事務所のホリ・プロには”モップス”、”RCサクセション” も在籍しており、その関係からかA,B面共にアレンジはモップスの星勝の手によります。 そして当時のホリ・プロの売り出し方はエレックやURCのアーティストにならい、 TV出演はせず徹底したコンサート活動中心によるもので、 陽水自身もモップスのコンサートでの前座など、かなりこなした様です。
また、すでに人気のあったモップスへの楽曲提供など、 その当時から既にソング・ライターとしての陽水の姿も見られました。

井上陽水といえば、’70年代に”吉田拓郎”、”かぐや姫” と並んで人気のあったアーティストですが、 唄の内容を見ると、岡林が「私たち」と唄い、拓郎が「私」と唄ったのに対して、 陽水の唄では「私(たち)」という一人称さえ排されていました。
また当時、拓郎やかぐや姫のファンは皆、 自らギターを手にして唄うことをさかんにしましたが、 陽水の場合は自ら唄うことはしない、いわゆる「リスナータイプ」 のファンも多かった様です。
そんなことから、当時私などは井上陽水の音楽に対して”拓郎よりも一世代後の音楽” という印象を受けていました。